- 「口汚い罵り」
- 基本的にメリットがあるのはごく一部の人によるものか、もしくはごく一部の人に対して、だけですね
- 「ルールに沿わないページ改竄」
- 「個人情報等よろしくない情報の書き込み」
- もはや語るまでもなし 法的にはセプター名等は個人情報には当たらないようですが、ここでは同等に扱います
- 「利己的な欲望による行動(宣伝とか)」
- Wikiの趣旨に沿う、利用者に資するものなら良いのですが、そうでないなら百害あって一利なしです
- 「およそ通常の利用とは思えない妨害行為」
- 主にあれな地域からやってくるbotの類とか、以前あった良くわからない人名ページ作成とか、異常アクセスとか
- 「自演・煽りなど(その他荒らし)」
- 理由付けも判断も一番悩ましいものです。そもそもこれらは何故いけないのか?
3.~5.はその性質上判別が容易であり規制に踏み切るかどうかの判断もまた容易でしょう。
一度きりの投稿でも十分に規制対象として問題ないと考えます。
また、3.~5.の場合は書き込まれた情報がなくても誰も困らないか、
情報を削除するデメリットより情報が存在することによるデメリットの方がはるかに大きい、というケースがほとんどでしょう。比較衡量の面でも楽です。
しかし1.~2.はどうでしょうか。
より悪質なものや繰り返し行っているものに限るべきではないか、そう思われる方も多いのではないでしょうか?
まずこれらは何故悪いか、それぞれ「他利用者の気分を害する」「秩序の破壊」に求められると考えていますが
1.には「意図していなかった」「暴言なんて過敏に捉えすぎでは」など、2.には「当該編集が真に正しいと思っている」など、
行った人には行った人の言い分があるかもしれませんし、実際にそれは妥当かもしれません(後の「荒らしとは」も関係します)。
以前リエッタのページでなされた「死ね死ね」コメント連呼などはわかりやすいですが、そういうことは稀ですね。
1.についても2.についても、経緯や態度・繰り返しなされているかなどを見ていかないと規制の濫用乱発になってしまいそうです。
6.ではこれに判別の難しさが加わることでいっそう難しくなります。
まず荒らしとは何か、その定義は、……の前に解決しておくべき問題があります。このWikiは何か、コメント欄とは何か。
このWikiの一番の存在理由は「『カルドセプト 3DS』の情報をまとめる」ことです。位置づけ的には公式特設サイト の補完的立場ですかね。
さらに踏み込むと「カード毎の性能・効果の多面的な確認」「ゲームとしての攻略情報」「コンボなど多様な使い方・組み合わせ」
「細かいルール・仕様」「ブックの作り方戦い方などの学習の仕方や方針の提供」など。特に初心者が必要としてそうですし。
ではコメント欄とは何か?若干コミュニティ(交流の場)化している面があるが、どう考えるべきか?
本来的に考えるならば、コメント欄は簡便な編集手段すなわち情報集積の一手段であり、それ以上でもそれ以下でもありません。
情報収集や記事編集の一助とすれば良いだけの存在であり、荒れていようと致命的でなければ問題なし見なければ良い、
編集方針について真面目に議論したい場合は議論場使うなりすれば良い、コメントが開発者に影響するなどありえない、と考えていました。
実は本音を言いますと私個人としては今でもこの考え方を多分に持っています……が、
見てるとどうも利用者にとっては匿名のコミュニティとしてもわりと成立・機能している様子です。某所なんかとても楽しそうですし。
以上から、コメント欄も含めWiki全体として、情報集積の場であり一般的なネット上の匿名コミュニティでもある、と考えてみます。
これを踏まえて、荒らしとは何か。
諸説ありますが広義の意味では大雑把には「ある場所の機能・構成員を害するもの全般」と定義付けられそうです。
ここでは1.~5、以外で当Wikiをぶっ壊しにかかってきてるもの、もしくはそう判断されても仕方ないもの、といったところでしょうか。
この観点でいけば、情報集積の場としての機能を損ねていなくても、コミュニティを害する限りは排除対象とされうることになります。
とはいえ判断は常に抽象的なものとならざるを得なくなりそうですので、運用は慎重に行わねばなりません。
荒らしの枠組みとして類型に分けていき、それぞれに説得力ある判断基準を設けないと、これまた規制の濫用乱発になります。
さしあたって「コミュニティを害する」という見地での1.~5、以外では、煽り・自演位しか思い付きませんが。
※詳しくは知りませんが恐らく、初期~中期の2ちゃんねるとか、こういう道を歩いていったのでしょうね
次に煽り、詳しくは「徒に他利用者の感情を逆撫でし対立を引き起こす行為」でしょうか。
何故悪いかについては「利用者に不快感をもたらし、また、コミュニティを害するため」と考えられます。
ただ書く側もそうですが受け取る側によっても捉え方はまちまちですし、批判を厳しく封じすぎると言論統制に繋がります。
語調や諌められても繰り返し行っているかどうかなどを基準にして悪質なもののみ警告・規制を行うことになりそうですが
ユーザIDも日ごとの固有IDもありませんので、利用者からはどの発言が同一の人間による書き込みか判別できません。
さて実際にはどう運用したものでしょうか。
そして自演、これは本来的には行為そのものは絶対的な悪とは言えません。
では何故悪いか、突き詰めると正常な情報交換・交流を阻害する点と公正の見地に求めることになる、と考えています。
自演が横行すると利用者は常に自演の可能性を念頭に置かざるを得なくなり、情報の正誤に一層の注意を払わねばならなくなります。
また、自演により虚偽の演出を行う側のみが、容易に数の暴力を扱え交流の流れすら意のままに出来るのはフェアではありません。
以上から、自演を行う人のメリットとそれ以外の人のデメリットを天秤にかけ、自演はNGという立場を取るべきと考えています。
ですが自演は自演者以外の利用者からは通常は判別不能です(煽り同様「個人の特定」という問題もあったり)。
この為あまり積極的に調べてはいませんが何かの拍子にみつけたら警告なりなんなりしています。
最後に規制に関連しそうなそうでもないような私自身の考えをいくつか。
規制の効果について、たかが書き込み規制されど書き込み規制。巻き添えになる方も一定数いるでしょう。
規制の効果は軽くはないからこそ対処としての有効性があるわけですし、規制はなるべく控えるべきかと考えています。
個々のカードの評価から理想信念に至るまで、内心は人それぞれであり、それは基本的に尊重されるべきものと考えています。
事実も流行も風潮も一切関係なく、です。これを違えるとコミュニティは言論統制に近い状態になってしまうでしょう。
なお、情報集積の成果としては別でこれには基本的には中立性が求められますが
とはいえ人間のやる事ですしある程度の偏りや茶目っ気は許されてもいいのかなと考えています。
前作Wikiも当Wikiも、なんと言いますか「自分のもの」的には考えていません。
実際書いてるのは有志ですし、そもそも最初はDS wiki消えてたから当時リソース余ってた自身のサーバに置いたというだけですし。
ですので、サーバ所有者・管理者としての特権はかなり薄く捉えています。
例えば上記の諸々の考え方については、利用者が別の方針を打ち出すならばそれに従おうと考えています。
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